第9話「なかなか飛べないね…」

盛大にこの作品が嫌いだと言った直後に申し訳ないが、今回は実に素晴らしかった。再放送中のフルメタルパニックから受けるようなわかりやすく強い感動はない。しかしキャラクターたちの心の動きは静かに伝わってきて、そこに確固とした人間の心の動きがあることははっきりと感じることができた。

今回のテーマを一言で言えばカタルシス=浄化と言えるだろう。大きな事件を引き金に急激にそれぞれの感情が露わになり、痛みや苦しみもひっくるめて事態が収束へと向かっていく。ここでフルメタルパニックだったら激しいバトルがあったり情熱的な恋愛的なやりとりをさせたりしてはっきりと感情の流れを描くところだが、ここではごく少ない感情表現で済ませていて、それがリアリティへと繋がっている。事故の描写自体も、キャラの台詞でも言わせていたとおり爆発もなく淡々としている。そしてKanonのシリーズ最後の方の事故の描写のような過剰なリアリティもない。

今回特に好きだったシーンはやはり眞一朗が比呂美を抱きしめるシーン。(一番肝心なシーンが一番のお気に入りとは実に好ましいことだと思う。)このシーンで物語の必要上描かれるべきだったことは、まず眞一朗が動揺と鈍感さの故に無意識の比呂美への行為と乃絵の軽視が露わになってしまってる点。それから自分への好意らしきものに気付いて感動する比呂美。そして乃絵がもはや物語の主役ではないという事実だと思う。

まず眞一朗については、内面の描写が最小限に抑えられている。比呂美に近づくときは内面を語る器官である眼を見せず、口から下しか見えていない。宏美を抱きしめた時に少し感情を見せるが、これは比呂美の感情を引き出すための最小限の描写だといえる。眞一朗の動揺していたり鈍感だったりすることの描写もした方がわかりやすくはなるが、後に述べるように比呂美の感動を強調するためにこうなっているのだと思う。鈍感さと動揺はこれまでの眞一朗の振る舞いとその場の状況から十分に推測することができる。

また乃絵については描写自体が、抱きしめたときに驚くワンカットしかない。もちろんそれだけでは視聴者はこんなにも親しんできたキャラの扱いとしては不十分だと感じるから、後のシーンで残りの内面描写が補完されている。しかし重要なのはこのシーンでは乃絵の内面描写も最小限に抑えられているということであり、乃絵がもはや物語の背面にいるということを暗示している。

そして比呂美であるが、なんと作品タイトルである「涙」を流しているのである。ということはメタ作品的な観点からはこのシーンは比呂美についてシリーズ上もっとも重要なシーンと言うことになる。あまり好ましくはないがこの観点を続けると、涙と言うからには「本当の涙」であると推測することができる。それ故比呂美は心の底から感動しているのであり、ここでは最高度の内面の表現が行われていると考えることができる。だからこそそれを際だたせるために、他のキャラの内面は押さえられる必要があった。また、そのリアリティを浮かび上がらせるためには事故のシーン自体も誇張されたりリアルすぎたりあってはいけなかった。これまでのなんだかよくわからない比呂美の描写もひっくるめて全てがこの瞬間に収束していると感じられる。実に良くできたシーンであり、シリーズ全体の一番の見せ場と言ってもいいんじゃないかと思う。

その事故をきっかけに全てが好転していく。持筆すべきは乃絵と眞一朗の母親の感情の変化の描写でそれぞれが主役と言ってもいいほど美しい描写だった。一つの事件をきっかけにそれぞれが絡み合いながらも、自分らしい仕方で問題を解決していく姿は全体的に見てこれ以上ないぐらい感動的だったと思う。というかこの作品は基本的に全身主役だといってもいい。
もう一つ特に好きだったシーンは眞一朗の母親が比呂美のマフラーと上着を脱がせるシーン。何が気に入ったんだか自分でもよくわからないが、服を脱がすという行為は非常に人間の間の親密さと関係があるのだと思った。

あーあと汚れた乃絵の手の超アップ。虚構の中に有無を言わせぬリアリティが侵食してくる瞬間だった。