第10刻 「小日向」

これまでは毎回のように琢磨の性格が立派すぎてつまらないと書いてきたが、今回になってようやくそのつまらなさが生きる展開になった。今回の琢磨の精神崩壊が今回の作画クオリティにも関わらずリアリティを持ってるのは、まずこれまでの立派さとの対比の強さによるものだと思う。

もう一つの琢磨の精神崩壊にリアリティを与えている原因は、琢磨の精神に関する描写以外がことごとく紋切り型の表現で、それとの対比も強烈なものになってるからだといえる。特にAパートのラブコメなんてのは現代アニメではパロディにしか見えない陳腐すぎるもの。それにも関わらずマジでやってるからには空気が読めていないように思ったが、琢磨の精神崩壊の描写との対比のために存在したのなら納得できる。

それに対して琢磨の精神崩壊の表現は紋切り型でないとはいえないが、何を意味してるのかよくわからないところが多く、非常に不安を感じさせるものだった。視聴者の不安とはやみの不安は別のレベルに属するものであり、はやみの不安を視聴者がはっきりと理解できるようにするのが、正しいはやみの不安の表現と言うべきではある。しかしそう言った約束を越えて表現の意味の決定不能性を持ち込むことは、真実と虚構の区別の不明瞭さをキャラクターも視聴者も一緒くたに体験するという結果を生む。こういった方法でしか、「狂気を狂気だと認識できない狂気」を表現することはできないんじゃないかと思う。