ささめきこと 第11話

純夏と朱宮のデートのときと同様に、作画が悪いのを開き直っていて終始テンションが低い回。それでもシリアスシーン・カットが決してハッタリには見えない深みを見せているから素晴らしい。

たとえばあずさがプールサイドで純夏と風間が遊んでいるのを眺めてショックを受けるシーン。このシーンは説明がなく、僕には葵が嫉妬心から血自分の恋心に気付いてショックを受けたのか、それとももともと恋心には自覚があって単に嫉妬でショックを受けたのかわからなかった。それぐらい、単純には理解できないシーンだった。にもかかわらず何かしら深刻なショックを受けていると言うことは十分に納得することができた。だからこのシーンは簡単に言葉にし難いけれど強い感情を示しているという意味で、深みがあるといえる。

ハッタリに見えない、というのは決して視聴者の心を動かすために作り手があの手この手で誘導しているというようには感じられず、本当に登場人物が悩んだり喜んだりしてるように感じると言うことである。そういうふうに感じられるアニメというのは滅多にない。例えばレールガンはその意味でハッタリの演出である。

そういう印象をどのように作り出しているのかと言うことを考えて見ると、まず明らかに使われている手法がBGMを鳴らさないということである。それ以外には能力不足でうまく言えないのだが、恐らく重要なのは、BGMの場合と同様に、どういう演出をしているかではなくどういう演出をしていないかと言うことであるように思う。つまり紋切り型の表現を使えばどうしても受け手としては印象を押しつけられているように感じてしまうわけで、そういう表現を使わなければハッタリであるようには感じられないだろうと言うことである。が、こういう類の主張についてはあまり僕には自信がない。