第11話 「あなたが好きなのは私じゃない」

キャラの感情がつかみづらくてもやもやした印象もあるけれど、それも含めて概ね楽しめる出来だった。特に比呂美のエロさと心の読めなさが素晴らしかった。ただ愛子の心境の変化はつじつま合わせという印象が強くて、これで終わりならちょっと不満に思う。

それにしても比呂美で、この作品の最大の見所は比呂美にあると思う。彼女が魅力的なのは一般的な萌えキャラの評価基準である「キャラ」の魅力ではなく、彼女の描写のされ方にあると思う。彼女はキャラとしては凡庸で、例えば乃絵に比べれば面白みがない。しかし描かれ方は特徴的で、内面の説明的な描写が一切欠けていて、外面と説明を欠いた感情の動きのみが描かれる。それによって普通の女の子としての存在感は強いものになり興味を引かれるのだが、説明的に内面が描かれないために非常にもどかしく感じる。つまり視聴者は「よくわからないけど好き。もっと彼女のことを知りたいけどわからない」と思ってしまうわけで、これは普通にリアルの異性に対して抱く感情である。

普通の萌えアニメが志向しているのは「内面への同一化」または「玩具的な愛好」のどちらかなわけで、このような不明瞭さを受け手に強要するようなキャラ作りはあまりない。しかしそういった不安感を感じることなしには、本当にリアルな恋愛を受け手が疑似体験することはできないと思う。

で、その比呂美は今回は非常にエロかった。まずは比呂美の部屋での同棲を思わせる描写から始まって、キスシーン、風呂上がりのシーン、男を連れ込むことを空気を読まずに肯定する描写、そして極めつけの唇を中心にしたアップの横顔で食べる「ガリンコ」(まなびストレートのあのシーンを思いだそう)。そんな風に段階的に「性」が描写されていて、もはや片思いに安住する萌えキャラからは遙かに遠く離れた「女」としての印象を受けた。萌え系の作品でいくら激しいエロをやってもそこには虚構であるという前提が絶対のものとしてあるわけで、こんな風にリアルな「女」の「性」が描かれるとゾクゾクするものを感じる。実写でなくアニメであるだけに特に。

この作品についていろいろ言ってきたが、僕にとって最重要なのはこの作品自体が好きか嫌いかということより、比呂美がいかに「女」であるかということなような気がする。次点は眞一朗の母親かなあ。(彼女の脇役にも関わらず感じられる存在感は異常。恐らく日本のどこかでアニメ好きかつ年増好きという特殊な嗜好を持った人間が最低一人は悶絶して喜んでいると予想する。)