第7話「花が咲いたら」

このアニメはストーリーやキャラクターの性格に統一性がなく、頭で考えるとつまらないのだが、どこか不思議な魅力を感じている自分がいる。なぜか考えてみたいと思う。

この作品でパロディやメタネタが多用されているのは銀魂と同様だが、銀魂の場合はそれらのネタが作品の空気感やそれを語るキャラクターの雰囲気に包摂されていて、全体的には統一的な空気感を維持している。一つの世界観を貫くのは一般的には作品として正しいあり方だと思う。

一方でこの作品のパロディやメタネタは作品の空気感を明らかに阻害する仕方で無造作に置かれていて、さらにキャラクターにふさわしいような台詞でもない。特に今回のアルゼイドの突然の医学的な知識の披露やバロックヒートのツンデレネタなどはそうだった。これは一般的には正しい作品のあり方とはいえない。作品世界のリアリティを損ねるし、キャラクターの存在感も薄くなる。

らき☆すたも明らかにこういうタイプのパロディをやっていたが、らき☆すたの場合は誰が見てもわかるように確信犯的にやっていて、その目的は制作者と視聴者が共犯関係に立って楽しさを得るというものだった。これは作品の純粋なリアリティを損ねるという点ではやはり欠陥だが、視聴者を楽しませるという点ではわかりやすい方策だといえる。

しかし破天荒遊技の場合は視聴者と共犯関係に立とうというような意志は作品から感じられない。ふざけてはいるのは明白のだが、例えば白石EDのように制作者が積極的に自分たちのいたずらをしているという事実を示すというような表現は全く見られない。今回のツンデレネタも、ほとんどキャラがメタな位置に立ってることを示しているのだが、ギリギリでキャラの作品世界内でのリアリティを保っているように見える。例えば釘○であることや、ハ○ヒであることを暗示するような表現をしたらアウトだろう。しかしここではあくまで一般的なツンデレという特徴を指示するにとどまり、そこまでは行っていない。これは本当にギリギリであるが、ギリギリまでやってそれ以上に行かないところが重要である。

つまり、この作品はパロディやメタネタといった作品世界のリアリティを損ねる遊びをしながら、そういう遊びをしているという事実を視聴者と共有して視聴者を喜ばせようという意志は持っていないということである。こういうことをやっているアニメは他にないと思う。視聴者を喜ばせたかったら、キャラクターや世界観の存在感を強くして感情移入させるというのは普通のエンターテイメントの方法だし、パロディやメタネタをやるなら明らかにやっていることを示した方がより視聴者は喜ぶはずである。パロディをわかりづらくしてわかる人だけの楽しみとすることもあるが、この作品はそういうことはやっていない。ツンデレネタは内容的には誰の目にも明白で、しかし演出は明白さを隠す方向で行われている。このアニメはそういった点で異質である。

では何をしたいのかというと正直よくわからないし、キャラクターの性格やストーリーも捉えどころがなく一般的な作品の見方で見ても決して面白いとはいえないのだが、不思議とこの作品を見て感じる全体的な印象は清涼である。僕はこれまでそういった印象の原因は声優の演技にあり、それ以外の点は並かそれ以下だと思っていたのだが、どうもそうでもないような気がしてきた。そこにはこれまで述べてきたこのアニメのパロディやメタネタの使い方の異質さが関係していて、感情移入ともネタの享受ともいえない特異な視点を視聴者に強いることにあるように思えるのだが、やはりよくわからない。