第6話 「サケビ」

これまでは中学生の妄想的なインチキ臭さが鼻についていたけど、今回のはリアルに中学生的な妄想に苦しむ人間がベタに生々しく描かれていて、作り手の倫理的な真摯さを強く感じられる回だった。というか前回と今回の明らかな雰囲気の対比を考えると、全話通して様々なテーマを様々な手法で描いていこう、というのがこの作品の方向性に思える。

倫理的な真摯さがもっとも端的に表れているのはシゴフミとその周辺の超常現象をほとんど事態に介入させなかったことで、現実に生きる人間の逃げ場のなさがリアルに感じられた。超越的な力を持ったフミカたちが救いをもたらす能力がありながら何もしないことが、かえって現実の非情さを強調していた。

いじめる側の死人が出てもなんの反省もしない非情さは、現実にはありえそうもなく作品のリアリティを損なっていた。しかしそのような残酷さは誰もがどこかしら持っている普遍的なものであり、その側面を強調して描い手いるという点で、よりテーマを深く描出するのに貢献していたと思う。

菊川と森下の最後の選択の対比は倫理的な問題を視聴者に投げかけずには置かない。どうしようもなく苦しくて、血を見ずには解決しようがないというような状態に陥る可能性は誰にだってある。(そんなことは気にせずに家に帰ってエロゲーでもやってなさい、というのは正論だが安全圏から見た理屈で、現場にいる人間は本当にどうしようもないのである。今回のシゴフミではそういう現実が存在すると言うことが本当にリアルに描かれていた。)そういったときに自分の血を見るか、他人の血をみるか。つまりは他人を傷つけてはならないという倫理を重視するか、自分の本能的な欲求を重視するか、という問題。もちろん物語としては両者の選択に別々の面白さがあるし、僕個人としては後者の方が好きである。今回のシゴフミでも最終的には動物的な本能を優先させることを犬の子供の行動になぞらえながら、美としては肯定していたように見える。自分の本能に忠実に生きる存在は美しい、と。しかし、それは美的価値の問題であって倫理的な問題とは別問題である。倫理的な問題とは、もし自分がそういう状況に陥ったら、実際にどんな行動をとるべきか、ということ。つまるところあなたにとって自分と他人はどっちが大事ですか、ということ。

もちろんそんな問いをたてたところで絶対に正しい解答はありえないし、いくら考えたって結論はでない。しかし、現実に選択をしなければいけないという状況に誰もが陥る可能性がある。もしそのときに、自分が納得のいかない選択をすればそれは自分の根本的な存在のあり方をごまかしたことになってしまう。それは最悪の選択である。第三の道はないのである。だからそのときのために解答がなくても考えなければいけない。解答がない問題を考え続けるということ、それだけが自分の生き方をごまかさないための唯一の方法だといえる。結局のところ自分の倫理的なスタンスはどういうものか、という問題をメタではない自分の生きてる世界と地続きの視点で決めなければいけないということだと思う。

というような真面目なことを書いている自分が少し信じられないが、自分をそうさせてしまうほどに、今回のシゴフミのテーマの真摯さと、それを表現する技術は素晴らしかった。命がけの選択なんてのはハリウッド映画でも定番だしアニメでもいくらでもあると思うが、それをここまで迫真の説得力をもって描いたものはあまりないように思える。