第14話 「なんか うごき づらい」

良くも悪くも教科書通りに作ったようなよく出来た構成で、テーマもはっきりしており、前後のストーリーとから浮いてもいず、十分に楽しめるものだった。だが出来がいいだけに、十分であって十二分にはなれないというサンライズの限界も同時に感じた。

以前も書いたけど、この作品のキャラのトラウマは物語の世界の経験にしか基づいていない。それはわかりやすいし、感動的なんだけど、それだけではそれが視聴しているこちら側の自分自身にも関係のある話であるという実感がわかない。エヴァの場合は、キャラの中に物語の世界内の経験に還元できない苦しみがあり、それがそのキャラとは全く違った世界に生きる自分にも当てはまるような実感があった。そういうものが、この作品で感じられたことはない。今回の話でも、伊織にとっての幸福はネーブラという現実的な存在が得られるかどうかという単純な問題であって、それ以上の苦悩は見えてこなかった。

ではリアルな苦悩を描くために必要なものはなんだろうか。何がエヴァにはあってこの作品にはないのだろうか。エヴァでは物語の世界内の経験に還元できない苦しみがあると言ったが、その根拠がどこにあるかということを現実的に考えれば、現実世界の制作者にあるのであって、制作者が自分自身の苦しみをキャラに投影してるからだといえる。もちろんそれを露骨にやると制作者の姿が作品内で見えてきてしまって、作品のリアリティは損なわれる。それを自然な表現にするためには、まずキャラに、現実の人間と同じ苦しみを持てるほどにリアリティがなければならないし、次に苦しみの質が制作者、キャラ、受け手の状態の違いを超えた、本質的なものでなければならない。簡単に言えば、リアルな苦悩を描くためには、制作者に表現技術と人間理解の両方が必要であるといえる。この作品の場合は、前者は十分だといえるが、後者に関しては持っていないか、意図的に見せようとしてないかのどちらかであるように思う。

関係ないけど、ここまで露骨にパロディをするということは、最終2話も真似をするのでしょうか。