第12話 「応援団」

今回の後半は特にエピソードもなくダラダラと練習の日々を見せているだけで、かなり退屈さを感じたが、このアニメがこのような表現を行うのは、恐らく現実の時間を表現したいからだと思う。普通物語においては、物語にとって重要なシーンだけを繋げて構成され、物語の進行に関係の薄い時間は省略される。そうすることによって、話の密度が上がり、受け手としても退屈さを感じずに住むわけだが、反面実際には退屈な時間が大半を占めている現実への忠実さが失われる。野球においても最も見てて面白いのは試合であって、練習なんてのは地味な積み重ねでしかなく、見てる側も、ある意味ではやってる側にとっても面白くない。しかし、量的に考えれば試合より練習の方が野球の経験の圧倒的な多くを占めているわけで、これを表現しなければリアルな野球の表現とはいえない。だからといって練習での苦難を乗り越えるエピソードを感動的に表現してしまえば、練習の地道さというのが失われてしまう。だから、練習の地味な積み重ねをありのままに表現するためには、今回のように、物語としての面白さを犠牲にしながらも、十分な時間をとって地味な表現をしなければならない。そうすることによって、視聴者は、野球のありのままの経験を、地味な部分も含めて共有することができる。合間に授業のシーンなどどうでもいいカットが挟まれていたのも、より選手たちの現実の生活を忠実に表現するためだといえる。以前の抽選会や誕生会にしても、選手たちの現実に忠実な見せ方をするためのものだと思える。

このような実時間への忠実な表現は、時間のスケールは違うが、最初の練習試合においても行われていた。その試合では、試合の中でキーとなる場面だけを取り出して表現することは行われず、一球一球投球が行われてることがわかるように見せることによって、視聴者には実時間で進行してることがはっきりわかる見せ方になっていた。だからこそ、現場に居るようなリアリティを強く感じられるものだった。最もその時は各選手たちの内面間を巧みに移動することによって退屈さを感じるものではなかったが、練習が退屈なのと違って試合に一瞬も退屈する隙がないのは当然のこと。試合にふさわしい表現だといえる。このように、試合内においても、試合が行われていない期間にしても、実時間に近い表現などをすることによって、よりリアルな選手たちの経験を表現しようとする配慮が、このアニメにはあると思う。