第61話 「闇夜の虫は光に集う」

「見とけ、てめえの言う余計なものが、どれだけの力を持ってるか。」

ただならぬ気合の入りようだった紅桜編のラストということで、これまで提示されたテーマの解決の仕方や、アニメーションのクオリティという点で、これまでの銀魂のエピソードの中でも、他のアニメと比べてみても、トップクラスの出来だった。特に前半の似蔵と銀さんのバトルのアニメーションは、一番見せるべきバトルということで、質も抜群に良かったが、量も十二分にあって見応え十分だった。

高杉、桂、銀さん、似蔵の過去を絡めた話は、最終的に誰が悪いとか良いとか決めないで、それぞれの生き方を善悪を超えて肯定しているのが良かった。それぞれにそれぞれの信念があって、それが一般の善悪の基準なんかではどうにもならないほど強いものだから、誰になんと言われようと意思を曲げることがない。似蔵の場合は信念というよりは、自分の意志ではどうにもならない強迫観念に支配されていたといった方がいいかもしれないが、火に集まる蛾の例えで効果的にそれが表現されていたのは素晴らしかった。強迫観念に縛られた挙句闘うだけの存在になってしまうところはシェイクスピアマクベスのラストを思い出させるものがある。高杉に関しては、自分の行動の理由に師匠を持ち出したところまでは良かったんだが、最終的にただの悪人のようにもとれる表現がなされてたのは残念。

鉄也が最後に自分が命がけで打ち込んでいたものより家族を優先してしまうところは、ベタながらも感動的だった。その理由としてはそのときの回想シーンと、それまでのエピソードで、鉄也の刀に対する情熱が十分に示されていたのが大きい。鉄也と鉄子の関係はそれほど深くは描かれていなかったけれど、これは家族であるという事実だけで、繋がりの強さを納得させるのに十分だからだと思う。

こうやって鉄也は最終的に家族を最も重要なものとするという結論をだしたわけだが、高杉に関してはいまだに桂のいうように抜身の刀のような状態で、紅桜編のキーパーソンにも関わらず結論が出ていない。これから登場するときのために結論を出さなかったのかもしれない。