第10話 「雨だって、友だち!」

全体を雨降りの静かな雰囲気で統一し、それぞれのキャラたちの日常を丁寧に描きながらも、すずの過去や友人たちとの関係の強さといった物語の基盤となる設定を強化し、さらにシリーズ全体の流れとしてもすずと行人のお互いへの意識のの大きな転機をその中で自然に表現していて、これまでの中で突出した出来であるとともに、シリーズ全体の印象を覆してしまうような強い印象を与える回だった。

このシリーズの最大の魅力であるよく動くコミカルなアニメーションもそれぞれのキャラ表現において存分に活かされていて、キャラの存在感を強めるのに役立っていた。よく動くとは言わないまでもいろいろなところで細かい動作がアニメーションによって表現されていて良かった。作画も全般にわたって良かったが、もし崩れたところが一箇所でもあったらこの印象は崩壊していたように思う。

特に印象的だったのは、まずすずが料理をするシーン。今回の話は、一つに家庭をもつことの幸せをしめすことだけど、すずが料理をする後姿が家庭的な母親の印象を感じるもので、幼い外見とのギャップが魅力的だった。下から眺める構図もその印象を強めていた。行人がそう感じていたことは示されてなかったと思うが、今後の行人とすずの関係を暗示するもとのして、視聴者への印象としては効果的だったと思う。もともとすずを含め村の娘たちは「働く女」であり、外見に反して精神的には子供ではないわけで、このような表現は非常に自然なものだったとは思う。

次に、やはりすずが歌を歌いながら母親と過ごした時間を回想するシーン。まず歌が変に現代風でなく本当に童謡のような雰囲気で、また堀江由衣のつたない歌声が素朴な感じをだしていてで非常に実感が持てた。その歌をBGMにすずと母親の後姿をセリフなしで長い時間写すカットは本当に感動的で泣けた。

美しい過去を思い出すことは楽しくもあり悲しくもあるが、本質的にはどうすることもできないもの。それを理解しているから、すずは過去に対して何かを言おうとしない。思い出そうとしない。それでも昔の歌を歌ったりすれば、どうしても過去は自分の意志に反して湧き上がってくる。どんなに鮮明に思い出されても、それは過去にすぎないから無言で受け入れるしかない。すずの回想シーンの長いセリフのないカットには、そんなやるせなさ、受け入れられる強さ、またそこから逆説的に推測されるすずの過去の美しさが表現されていたように思う。

しかしそれだけにはとどまらず、母親のすずへの同じ花嫁衣裳を着てお嫁さんになって欲しいという希望を示し、その可能性に対して近づいてるすずを示すことによって、決して過去を回想するだけでは終わらせず、未来への希望を示す話になっているのがポジティブで良い。

恐らくはすずの一番の幸福は結婚にあると考えていた母親や、それを素直に受け入れるすずは、現代社会では忘れられているシンプルな女としての幸せを思わせて美しい。地味に働くことと結婚することだけを幸せとする価値観は現代ではあまり受け入れられないけれど、伝統的に存在するそれはまだ人間の心の中で生きていると思う。それが表現できるのは、社会から隔絶された孤島という特殊な舞台だからで、この作品は本当にそういった女性像を表現しようとして成功しかけているのかもしれない。