第3話 「練習試合」

現在のマンガ・アニメ的な世界ではキャラの間の完全な共通了解が成立しているか、それを成立させることが物語のゴールになっている。どこぞの学生寮の住民にしろ、部活動の仲間たちにしろ、「わかりあえる」という幻想が作品内では完全なものとして存在しているかのように描かれていて、だからこそマンガやアニメを見るのは楽しい。現実にはありえない一体感がそこにはあるから。

ところがこのアニメにはそういった共通了解がなく、また成立しそうな雰囲気もない。その原因はマンガ・アニメ的妥協のないリアルな内面の描写があり、それぞれの利己性が生々しく見えてくるからだと思う。例えお互いのことを「好き」といっても、お互いの視線が絡み合っても、両者の考えてるのは利己的な欲望に基づいた愛情でしかないことが、生々しい内面の描写から見えてしまう。まったくお互いがわかりあえたという感じがしない。

だからいくらコメディーチックな描写をしても、萌えーな美少女が出ていても、普通のラブコメ的な明るい楽しさを感じることが出来ず、常にリアルな暗さを感じてしまう。まあ少年時代とは記憶の中で美化されてるだけで、実際に生きてるときはこんなふうに暗くてジメジメしたものですが。