第3話 「涼雨」

「ウィリアム様がお帰りになるのなら私ももう少しここにいたいと言ったのは、ウィリアム様と一緒にいたかったからですわ。」

このセリフを言うときのエレノアは背景美術のラインが中心のエレノアに向かってくるという、ダ・ヴィンチの最後の晩餐で使われていた手法が使われていて、エレノアの存在感が強く感じられた。注意してみるとこういう手法は他のアニメでも使われているのかもしれないので、これからはその辺にも注意してみてみようと思う。蛇足。

で、第一印象としては、エマという女性がいながら何目先のにんじんに飛びついてるんだクズ男ウィリアム! と言いたいところだけど、こう言えるのはエマとウィリアムの筋を両方知っている視聴者だから言えるのであって、ウィリアムの事情を考えれば、この選択のほうがずっとポジティブで勇気のある行動。さらにエレノアの苦しみに負けない強い思いが硬く閉じていたウィリアムの心の扉を開いたというわけで、これだけとれば実にいい話。それを描く演出も見事なもので、ウィリアムの心情の変化を足を拭く行為と手を重ねるシーンで段階的に表していたのが、変わっていく思いの過程が実感できて良かった。手を重ねながら馬車の外を眺めるウィルアムには何の躊躇もないように見える。もちろん視聴者にとってはその出来がいいほどに悲劇が大きくなることが見えてくる。劇中劇でロミオとジュリエットが使われていたのは単に有名だからではなく、その構図と重ねてのことだろう。

エマの側としては伏線を張る以上に大きな進展はなかったが、ミセス・トロロープ邸の内装や、サルがエマの体を上るシーンなど見所たっぷりで、変化するウィリアムの状況に対して、エマの他愛もない日常の存在感を十二分に感じれるものだった。