第21話 「ときめきの聖夜」

冒頭の自然な導入の仕方と全体の質の高さから、前の若竹先生がメインの回と同じ脚本家でないか、と思ったら本当にそうだった。滅多に当たらないスタッフの予想が当たって上機嫌。

そんなことはどうでもいいとして、あやめが友人の自覚を促すために友人の思ってる相手となれなれしくすることや、生徒会主催で全校生徒を巻き込んだイベントをすること、なんでもいいから爆発させて盛り上げたり、雪を降らせて安易にきれいに締めることなどは、いずれもどこかで見たことのあるようなもので何の新鮮味もない。しかし、新鮮味があるかどうかというのは、あまり知られてないことだが与えられる感動の程度とはあまり関係がない。衝撃と感動は違う。使い古された素材を使い古された、しかし成熟した手法で料理すれば、最高のものが出来上がるのは料理でもアニメでも同じこと。

これまで積極的なつかさの魅力と、控え目でも強い芯を持った水奈に対して八方美人であることしか魅力のない小百合が、どんな魅力で陸にアピールするのか、といったことを期待してきたが、今回の話をみてどうも積極的に個性的な性格を押し出して魅力を示しはしないのではないかと思えてきた。これまでも、小百合は学校一の人気者であるにも関わらず、実は目立ちたいなどとは全然思っていない真面目で普通の女性である面を見せ続けてきた。今回も特に積極的で個性的な行動は取っていない、この「普通さ」というのは美少女ゲームのパラメーター的な思考で考えると、まったく魅力としてはカウントされないのだが、現実の女性の魅力と言うのは、自ら捏造した性格によって作られるものではなく、むしろその手の努力を含めた生きる力から、本人の意向とは無関係ににじみ出てしまうものである。また、努力自体が報われるのも物語の世界だけの話。だから、普通であることや、努力が足りないことは現実的に考えれば魅力の低下には繋がらない。では現実の女性の魅力とはなにかといえば、それは単に「かわいさ」でしかなく、分析できるようなものでもない。それを表現することは、理屈で受け手を説得しようとするのが普通な物語では非常に難しい。だから美少女ゲーム的パラメーターにしてしまえば簡単なわけ。で、ときメモは何をしようとしてるかというと、それにも関わらず単なる「普通のかわいさ」で小百合のほかの二人のライバルに対するアドバンテージを見せようとしてるのではないかと。その根拠は何かといえば、イベントが終わったあとに陸と何気ない話をする小百合がものすごくかわいく見えたということだけのなのですが...

いつも他に面白い点がありすぎて忘れてしまうが、ヒヨコの一発ネタの登場の仕方はツボ抑えすぎ。前の修学旅行のときだっけ? 襟を立てたコートを着てた時も。あと陸の親友二人組に幸福な目にあわせてあげたのは彼らへのスタッフからの愛が感じられて良かった。あまった堂島のことも忘れずにおいしいカットで出してるところなんかはなんというかもう恐れ入る。

脚本:やのよしたか 絵コンテ:永本敬二郎 演出:築豊太郎 作画監督植田洋一