第1話 「ファンティーヌとコゼット」

キャラデザに釣られて見てみたら金ばかりかけたクズアニメだった。

冒頭、日の光の目一杯当たった本物と見まがうような菜の花の美術に感動するも、やる気のない子供の声の演技が聞こえてきてガクッと来る。キャラは萌えなのに声が萌えじゃないというのはどういうことか。母親の声は上手なものの、どこか絵から浮いている。そして次の店の人たちのキャラデザが、普通の名作劇場のそれ。萌えなのは主役の絵だけ?

そしてその店の人たちと母親の会話が、どことなくぎこちない。間の取り方が悪いような気がする。例えば仕立て屋のおばさんがコゼットが入ってのに気付いた時は、もう少し間を空けて考えた方が自然じゃないだろうか? それともリアクションが小さすぎるからそう感じるのだろうか?

そして決定的に不安になったのがコゼットたちが帰った後に意味もなく仕立て屋のおばさんを少しの間写したこと。ここでおばさんの不安さを示すような仕草やセリフがあれば自然なのだが、なにも示されず、全く無意味なシーンとなっている。こういうことはまともなアニメでは絶対にやらない。その後も不自然な演出が続く。アニメーションとしても見所も全くない。

他の子供達のキャラデザが気味が悪い。まるでジャンルの違う萌えアニメのキャラのパーツを使って福笑いをしたようなデザインだった。声優も下手。

肝心なこととして母親がなぜあの夫婦の提案を受け入れてしまったのかが不明瞭。悪巧みを見抜けないのは純情そうな性格からわかるし、キャラデザの違いは登場人物にはわからないことになってるのだろう。しかし、子供をそう簡単に他人に預けられる理由がわからない。夫婦が説明したことを信じたのだろうが、そのことが示されていないからこちらとしては不安。「ならしょうがないわね」と独り言でも言ってくれれば納得できたと思うのだが。

この夫婦もすごいキャラデザだが、その後もギャグ漫画から出てきたようなパン屋の親父や腐女子向けの兄弟など様々なジャンルのキャラデザが出てきてアニメキャラの博覧会のようだった。

そして最後にこれ以上のものは滅多になさそうな極上のロリ萌えキャラコゼット。このすごい顔の人たちの世界でこんな愛らしい子がどんな風に生きていくかと思うと続きが見たいような気もする。

どうもスタッフが萌えアニメをやってきた人と一般向けアニメをやってきた人とで二分しているみたい。例えば下記の金春智子桜井弘明や、キャラデザの渡辺はじめなどは萌えアニメを見てきた人には馴染みのある名前。しかし棚橋一徳はこのプロフィールを見るとヤマトのころからやっている古い人で、最近も一般向けのアニメしかやっていない。作画監督の山本径子は棚橋一徳と「ガラスのうさぎ」という一般向けらしい作品で一緒に仕事をした人。今回の支離滅裂さはこの2派の足並みがそろってないからじゃないだろうか。

そもそも日本アニメーション自体が萌えアニメを作ったことがないはず。Wikipediaの日本アニメーションの項によると「年々会社を取り巻く状況は悪くなっている。」とのことで、流行りの萌え路線で起死回生ということなのかもしれない。しかしいくらその筋のスタッフを使って萌えでクオリティが高い作品を作っても、つまらなければ1クールならごまかせても52話も付き合ってくれる人はいないわけで、このままでは厳しいと思う。

脚本:金春智子 演出:棚橋一徳 絵コンテ:桜井弘明 作画監督:山本径子

追記:こんな感想になるのは普通の萌えアニメを期待していたからかも。萌えアニメには密度のある独特の誇張表現や異常な方向に特化したキャラデザがあるもので、一般向けのアニメはもっとおとなしい表現やバラエティにとんだキャラデザは普通ということなのかもしれない。