第3話

ストライクウィッチーズでも感じたことだけど、子供が社会的な規範に逆らって一時の感情に身を任せて起こした行動を易々と認めるべきじゃないと思う。もしソラに人間的な深みがあることが視聴者に知られていて、彼女の直感に基づいた行動があの婆さんの頑固さより力強いものだと視聴者が納得できるならいいのだが、少なくともこれまでの話数にそれだけのものを感じさせるものはない。普通に考えれば少女の直感的な感情よりも、長い年月で積み重なった婆さんの感情の方が強いものである。それでも演出や声優の演技にソラの直感的な感情の力強さを感じさせるものがあればいいのだが、僕にはそう言うものを感じられなかった。

だからソラの行動は婆さんの感情よりも弱い一時的な感情にすぎないわけで、彼女の行動は失敗に終わるのが自然。そしてそのような子供の思い込みが非難されるのが倫理的にも適切である。にもかかわらずソラの直感的感情が婆さんを説得してしまうのは、ストーリーの都合によって決められたお涙頂戴のチープな展開であるようにしか思えない。

ストライクウィッチーズの場合は全体が安っぽいエンターテイメントの空気感を醸し出しているので、少女の行き過ぎた思い込みが認められるような安っぽい展開でもいいのだが、この作品は全体が高級な雰囲気を醸し出しているために、人間の感情のあり方の自然さや倫理的な適切さを無視してチープなお涙頂戴の展開にしてしまったことは、非常にがっかりした。

とはいえ実写風の美術を中心とした物語の表現は新鮮な印象を与えてくれるのでまだまだ見続けたいとは思った。