最終話「スクールデイズ」

スプラッタっていうからもうちょっと爽快感のあるラストを期待してたんだけど、気持ち悪さしか残らない映像だった。

例えばソフォクレスオイディプス王は、父を殺して母を妻にしていたことがわかったとき、オイディプスは狂乱の中で自ら両目を潰してしまうのだが、それを読んだときは非常に爽快な気持ちだったのを覚えている。このように悲劇が逆に爽快感につながることを、アリストテレスカタルシス(「浄化」の意)と呼んだ。

別に古典を持ち出さなくても、悪役がことごとく死んでめでたしめでたし、といったラストは現在でもありふれたもの。人が死んでるのにハッピーな気分というのは不謹慎ではあるが、そういったモラルの侵犯が可能なところにフィクションの価値はある。

しかしこののラストはそいういうのとは違うような気がする。もちろん最終的には全てが片付いて、きれいな映像で締めて(Nice boat.でオチもついて)後腐れがないラストではある。

しかし、今回の数々の残虐な映像は、どうもエンターテイメントとしてモラルの侵犯の快感を感じるためのものというよりは、その残虐な映像を異常性欲的な観点から単にグロさに快感を感じるためのもののように思える。そのグロさはモラル・アンモラルの区別の彼岸にあり、単なる低級な欲求の対象だといえる。

しかしこれは、もしかしたら自分の弱さがこれをエンターテイメントとしてまっすぐに受けとるのを拒否してるだけなのかもしれない。正直予想以上に強烈な印象を受けたから。

まあともあれ、このラストがこれだけの衝撃を与えた背景には、今回の作画・演出の質の高さ、これまでの十分な話の積み上げがあったということは忘れずに言っておきたい。肝心の誠は性格が一貫してたのは良いが、内面の心理描写が不十分で、あまりリアルな人間には感じられなかったということも。