第11話 「なみだいろの決心」

「まだ、二ヶ月なのに、たくさんあるね。」

僕が京アニ作品をあまり好きになれない理由の一つには、恐らく作画が過剰に良すぎるというのがある。特に強調する必要もないシーンに力の入った作画が使われてると、絵の印象が強すぎて作品の内容への集中がそがれてしまう。らき☆すたなんてのはほとんど全てが強調する必要のないシーンで、作画のよさばかり気になってしまい、あまり内容に集中できない。もしかしたららき☆すたは作画がもう少し悪ければもっと面白かったのではないか、とさえ思えてくる。

その点この作品はもちろん作画がそれだけで良いという印象はあるんだが、それ以上にその作画が作中のキャラに属しているのが自然であるという印象が強く、作品への集中がそがれるということがない。その画面がきれいなのは、原画師の技術が高いからではなく、作中の人間がその美しい表情をするだけの感情を持っているからであるという錯覚を十分に起こさせる。

新劇場版エヴァを見てからますます思うようになったのだが、作画のよさというのはそれだけでは価値がないどころか、不適当な使われ方をすればむしろ作品にとって害をなすことがある。あのエヴァはあれだけの技術力を受けとめるだけの内容があるということが、そこら辺の作画アニメとは一線を画しているところ。

とはいえ、作画作画といっているが、僕は自分では絵を描かず、アニメ視聴歴もそれほど長くないので、自分より絵に対する感受性の強い人はいくらでもいることはわかっているし、その人達は僕とは大きく違った受け取り方をしているはず。また、アニメをほとんど見ず絵に対する感受性の弱い人は、また違った作品の受け取り方をしているはずです。

だから僕の言ってることはほとんど個人的で、当てはまる人はそれほどいないと思うのだが、それでも自分の言ってることは絶対的な普遍性があるような、そんな気がするのをどうしても抑えられないのはどういうことだろう。