第11話 「ひゃっこくて、氷とり」

この作品らしいコミカルで現実にはありえないような展開を含めて、隙のないストーリー構成で、さらにこの作品らしいゆるいテーマ性が一貫していて、作画もよく、キャラも過剰さを感じさせることなしに十分に動いていて、文句なしに面白い回だった。ゆるいテーマ性ではあるが、時たまキャラ達の見せる本気の感情がさらにこの話をかけがえのないものにしている。

この作品の最大の魅力はやはり動きで、今回もキャラに自然な演技が付けてあって、荒唐無稽な設定やストーリーの中でも、存在感を強く感じられる。アニメにおいて、他の種類の物語においても、非日常的な展開で話を盛り上げるより、日常の何気ない幸福感だけを表現することの方がずっと難しい。実際の作品においても、前者で成功しているものより後者で成功しているものの方がずっと少ない、というかあまり思いあたらない。そんな中で、この作品は、今回のように非日常的なストーリーを表面上使ってはいるが、無茶な展開ばかりでストーリーで作品を面白くしようとしているようには思えない。また、キャラの悩みや葛藤といったものも表面的な表現しかなされていない。されていたとしても、これが重要なのだが、前回のすずの母親の回想のように、理屈を積み上げて内面の苦悩を表現するといったことが行われず、言葉を最小限、または表面的なものにして、演出や作画に委ねて感情の表現をしている。同様に、キャラの存在感を強めるためにも、ストーリーや真に迫るセリフに頼らず、作画とキャラの動きによって表現している。そしてそういった演出、作画、アニメーションは、アニメの世界内において「日常」として存在する。つまりこの作品は意外なストーリーや深い理屈の積み上げといった非日常的な装置に頼ることなしに、作画などによって表されるその「日常」に力点を置いて描き、恐らく成功しているという点で、日常の何気ない幸福を描くという難事を成し遂げているのではないかと思う。