アニメを「好き」といえるということ、まなびストレートの再評価

昨日のamiyoshidaさんのコメントより。詳しくは前日のコメント欄を。


私はアニメに限らず、作っている人が何を考えて作ってるんだろうと考えて観るのが好きなので(だから作家追いに走ってしまう)そういう要素がある作品を好き、と思う傾向にあります。(中略)それは、優れた作品が好きという趣向を持てるほど、アニメを集中して観てるとはいいがたいのでどうしても基準が好きに拠ってしまいます。

こちらとしてはアニメを見るというのは、作品から引き出せる感動や面白さの全てをすくい上げようとすること。そのために血眼になって一フレームもも見逃さないように画面にへばりつかんばかりに集中して見ていて、少しでも不明な点があれば巻き戻して見返している。集中していると言っても力んでるわけでなく、できる限りニュートラルな視点で見るために全力でリラックスしなければならないという矛盾を常に抱えながらアニメを鑑賞している。まあ、ある意味命懸けなわけです。

そこにamiyoshidaさんの単にこの作品が「好き」だから見るという意見を聞いて、軽くショックを受けた。なんというか、一流大学を出て容姿端麗で高収入で自分が完璧だと思っていたのにのに、異性に他の普通の人のほうが好きだといわれたような感じ。
それで自分の真剣になってみているアニメとはなんなんだろう、と。

元々アニメを見るって言うのは、かわいいキャラが出てるとか、かっこいいロボットが出てるとか、もっと言えばルパンやドラえもんピカチュウが出てるから、とかそういう何気ない素直な理由だったはず。それがいつの間にやら構成がどうの作画がどうの声優が合ってるだの合ってないだのそういう深読みばかりするようになったのはいつからか。もちろんそういう要素は作品の魅力を、つまりはルパンやドラえもんを際立たせるために本質的に必要なものではあるが、そのようなものを見ようとするのと引き換えに、単にキャラやロボットなどが好きだとかかっこいいと言える素直な心を失ってしまったような気がする。今や作品全体の作画、脚本、演出が満足できるのでなければ、登場しているキャラを素直に「好き」とすら言えなくなってしまった。

とはいえそのような細部が見えてくるに従って、アニメを見るのはより楽しくなっていくわけだから後悔はまったくしないが。

で、このサイトではがくえんゆーとぴあを脚本の出来の悪さから駄作としてきたわけだが、単純に「好き」と言えるかどうか、多くの視聴者が楽しめるものであるかという点から評価しなおしてみようと思う。

まず「プニ萌え」と呼ばれるキャラの造形は、萌えアニメに慣れてる人なら誰もが好ましく感じるもの。高校生なのに小学生にしか見えないのはロリ好きを満足させるのみならず恰好の突っ込みどころにもなっている。キャラたちの性格の違いは明確で、ギャグシーンなどではそれが存分に利用されていて楽しい。「まっすぐGo!」に象徴される学美のわかりやすい性格。他のキャラも萌えアニメの定跡をふまえたもの。

明確なテーマの提出。メインテーマである生徒達の活気の減少とそれに対する学美の明確な明るさの対比。視聴者にとっては現代の社会問題とも結び付けて考えることができるもの。それぞれのキャラの抱える問題とその解決はテーマとしては明確。これらは脚本による表現としては完成度が低いが、視聴者がそれらによって提示されたテーマについて考えようとするならば、有益なものになりうる。見る側の想像力で補えば楽しめるということ。

さらにamiyoshidaさんが「私はアニメに限らず、作っている人が何を考えて作ってるんだろうと考えて観るのが好きなので」と言っているように、テーマが明確であることは、制作者の意図を捕らえやすいということ。さらに、夜の街を友達とかけまわったり、友人達で芝生に寝転がり空を見上げると言った露骨な青春の表現。これをこのサイトではそこに至る脚本の不十分さから、自分達の見せたいものだけを見せようとする自分勝手な表現とするわけだが、そんなことを気にしなければ美しく、制作者の情熱を感じられる表現。試聴者は自分達の青春時代を重ね合わせることによって共感することも出来る。

作画やエロ表現、ユーフォーテーブル独特のシュールな雰囲気は当サイトでも認めていた優れたもので、結論としては、この作品は完成度は低いものの、ビジュアル面やキャラの性格などは非常に好感のもてるもので、キャラたちの成長や社会問題に繋がるテーマなどは視聴者にとって想像力を膨らませたくなるものだということ。

悪く言えば、萌えキャラ出して難しそうなことを並べ立てれば売れる、といったような安易な考えのようであるけれど、ユーフォーテーブルが出来る限りのことをやって自分達の表現したいものを表現しようとしているのはわかる。視聴者をいかに楽しませるか、いかに自分達の伝えたいことを伝えるか、そう考えた場合の彼らにとっての結論が、この作品なのではないかと思う。現在多くの人たちが楽しんでいるようで、前者に関しては成功している。後者に関してはこれからの展開次第。

追記:そのamiyoshidaさんのブログの最新の記事を見ていたらこんな言葉が。
「しかし、私が書く理由はアニメのクオリティ云々よりも、数多い作品のなかで出会っちゃった奇跡そこに意味を見出していく的なものです。これはアニメに限らず、マンガや本、音楽、映画に関してもそうでしょう。」

「出会っちゃった奇跡」...プロフィールを見るとミュージシャンの方のようで、こんなカッコいいセリフがさらっと出てくるのはさすがにクリエイターだなあ。もうアニオタと一般人なんて区別にこだわる人種とは銀河系一つ分ぐらい隔てられた感覚。自分の人生と作品の唯一無二の交差点ということね。

本当に普遍的な視点は徹底的に個性的な視点と一致するような気もするけれど。

当サイトは引き続き徹底的な凡人の視点からお届けします。

さらに追記:よく考えてみたら、amiyoshidaさんの言ったのは「自分にとって」好きであることが重要だということで、ここで語ってきたのは「普遍的に」好かれるかどうかということだから、的外れな話になってしまっているなあ。