第22話 「いつもの日々へ」

「さあ帰ろう! 我らのボロアパートへ。」

というわけで最終回です。これまでの出来のよさと、話の盛り上がりから期待が大きくて、でも緊張しすぎると素直に感動できないかも知れない。などとワクワクと不安が入り混じりながら恐る恐る見たわけだけど、そんな心配は無用だった。途中まではそんな不安があったけど、一番の見せ場であるもも子が孝士が殺された怒りからとんでもない力を発揮して怒りを天我にぶつけるシーン。カタルシスとは正にこのことで、もも子はこれ以上ない苦痛を、怒りという形に具体化して表現しているわけだけど、それによって逆説的に表現されるのはもも子の孝士への思いの強さで、フラッシュバックによって示唆されるこれまでの全話数のもも子たちの日々の重さも手伝って、もう問答無用の説得力でそれが伝わって来た。ある人への思いの強さを、その人を失う原因となった人に対しての怒りで表現するというのは、よくある方法だけどやっぱり効果的。作画・演出・構成に少しでも不自然なところがあればそのカタルシスは崩壊してしまうわけで、本当に視聴者が感情移入するためにはそれらの自然さが必用条件であるとこれを見て思った。もちろんこのシーンは十分なもので、自分の存在を忘れて心の底から感情移入できるものだった。

「これは優しさとかじゃなくて...」「これは優しさではありません...」

とどう見ても優しさにしか見えないものを、全力で理を説くことによって正当化する。これこそが愛というわけだけど、愛といえば孝士が子供のころに受けた能力の封印も、母親の愛が原因だった。孝士が武道家になれないという設定と、絶望的な状況で毒から回復する原因の両方ををこういった愛のあるエピソードに絡めて解決するのは見事だと思った。天我や天々などを含めて、このシリーズでは、純粋な悪人というのがいない。悪い行動をするのにはそれなりの理由があって、実はいい人だった、という話になっている。こんなのは陳腐なものだけど、その辺にも制作者のキャラクターへの愛を感じる。キーワードは「愛」です。

一つだけ疑問点として、孝子が内に武道家の能力を秘めているならば、もも子は「内在エネルギーを操る竜族」の力をもってしてそれを見抜いていて、もも子の好きなのは孝士という人間でなくその能力でないか、と思った。そうならばもも子の愛は単なる武道家の本能の動物的な反応ということになってしまう。が、もも子は「孝士殿は、武道家などというより、人間として大きな力を秘めている」と言っているので、やはりもも子は孝士という人そのものを好きになっていたことがわかる。

ではもも子はなぜ孝士のことを好きになったのかというと、それはそういう設定だから、としか言いようがない。はっきり言って今回の話でも示されているように孝士は表面を見る限りかなりのダメ男である。だが現実に人を好きになる時も、理由なんてよくわからないもの。「美人で、スタイルが良くて、やさしい」から好きになったとか考えたとしても、じゃあもしその特徴をもった別の女でもいいのか? と問われてイエスと答えるわけではない。恋愛というのは吉田アミさんの言葉を借りるならば「出会っちゃった奇跡」の最たるものであって、そこに理由づけなんか本当は必要ないのである。だから、もも子は孝士を好きになった理由は「そういう設定だから」で十分なのである。問題は理由ではなく愛自体のの強さ。愛が強ければ偶然は奇跡の強度を獲得するのです。

こんなダメでしかも命を狙われている男を好きになるという呪われた現実を突きつけられても、まったく自分の人生を呪うことをしないのが、もも子という女性の強さ。何よりも、自分の愛を信じるわけである。前回もも子はいろはの恋を擁護するために自分の恋が片想いであることをはっきりと認め、孝士はもも子がそう自覚していることに始めて気付いた。なぜ気付かなかったといえば、孝士の鈍感さというのももちろんあるが、もも子が片想いで辛そうな素振りを一切見せなかったからである。

例を挙げよう。「藍より青し」でヒロインの葵がヒーローの薫に否定されるという展開はない(知っている限りは)。そういう展開があったとして、恐らく葵はその事実に絶えられるような強さを持っていないだろう。多少は誤解などから薫の思いを不安に思うことがあっても、それは物語に軽い刺激を与えるスパイスのようなもので、必ず否定される。また読者も最終的には二人の関係が崩壊することは無いという暗黙の了解から安心感をもって読んでいる。そういった展開は世界を壊さないためにはあってはならないのである。そんな前提の上に物語が成立している。だが現実はそんなに甘くない。もも子はこれまでに何度もかなり残酷な仕方で相手にされないということがあった。例えば「家政婦が来た!」の回での孝士のもも子の扱いなど。決してもも子にとって住みやすい世界ではなく、視聴者にとって安心できるものではない。そもそも、孝士がもも子のことを本当にどう思ってるのかがもも子にとっても視聴者にとっても不明なのである。そんな状況の中で愛を貫き通すもも子は、やはり強いのである。

我々はもも子がオタクの理想を体現しただけの萌えキャラでないことを知っている。前回の天々が恋心をおとしめたことに対する怒りや、今回の天我にぶつけた怒りから、一歩間違えば手のつけられない猛獣に変わる女性であることを知っている。いつもニコニコして好きな人のために全てを尽くしてれば幸せですというだけのキャラではないのである。葵のようなキャラはそういった本物の怒りを見せることはなかった。つまりはもも子は喜びも苦しみも怒りもする人間であり、恋の辛さも素晴らしさも知った女なのである。

そんな人間らしさを知ったとき、もも子が上にあげたような不安定な状況で健気にも孝士を愛していたという事実が、リアルなものとして浮かび上がってきて、もも子という女の健気ながらも強靭な生き様に驚愕せざるを得ない、というわけです。

このシリーズは1クール目のときは普通に面白いラブコメだと思っていたけど、「西郷の恋」以降ギャグやバトルが見応えのあるものになり、またキャラの描き方が非常にリアルなものになった。そしてもちろんもも子がリアルな女らしく描かれるようになった。まあ感想書き始めたのが今期からなんでそれまでは注意が行き届いていなかったということかもしれませんが。その辺は見返してみないことにはわかりません。このラストにたどり着けることがわかってるなら、見返してみたいような気もする。

なんといっても「倦怠期の直し方」で孝士が猫とじゃれながら飯を食ってるのを見て、コロッと機嫌を直してしまったもも子の笑顔が何よりも印象に残っている次第です。

脚本:岡村直宏 コンテ:中西伸彰 演出:中西伸彰 作画監督:アミサキリョウコ