神のみぞ知るセカイ 第3話

金髪エセ令嬢編解決編。

いちいちリアルとギャルゲの世界の対比を持ち出すせいで、物語がギャルゲのテンプレでしかないことに気付かされて多少醒めてしまったけれど、物語はそつなくまとまっていて、桂馬と美生の感情表現も良くできていて、一話完結ものとして期待通りの出来だった。

さてこのシリーズに関しては、ギャルゲとリアルの対比を作中で強調しているにもかかわらず、この世界のリアルがギャルゲの世界そのものでしかないといこうとに、僕は違和感を感じてきた。他の感想サイトでも似たような感想を多く見かけた。しかし、今回の予告では、次のように語られている。


人生で起きることはすべて、ギャルゲーの中で起きる。
しかしギャルゲーで起きることは、たいてい人生では起こらない。
起きるようなやつはそもそもギャルゲーをしない。
そんな不条理に関わらず、ボクは今日もスタートボタンを押す。

これはそのような批判が織り込み済である、という制作者の主張だと考えていいと思う。ではなぜそのような不条理な世界の作品をわざわざ作りだしているかと言えば、ギャルゲ的な想像力がどの程度現実に通用するかを試したい、ということなのではないかと思う。これは制作者側からすれば、自分たちの実力でこの“不条理”な舞台でどの程度リアルな感動を生み出せるかという挑戦だし、オタク一般の視点からすれば、これまで築き上げられたギャルゲ的想像力がいかに現実に通用するものであるか、という実験だといえる。

この2点に関してこの作品を見てのこれまでの僕の印象は、作者の実力については認められるけど、一般にギャルゲ的想像力がリアルにも通用するか、と言う問いに対しては否定的な答えを出さざるを得ない。